今日は「ありがとう」について考えた。
私が子供の頃から親によく言われた言葉。
「親に感謝しなさい」
「お前は感謝が足りない」
「もっと感謝しろ」
「せっかくやってあげたのに、もうやってあげない!」
言われるたびに、違和感を感じてた。
別に、感謝したくないわけじゃなくて、親がいるから生きていられることも、子供ながらにちゃんとわかってた。
自分が子供を産んで、母親になってから気付いた親の気持ちもある。
「私のこともこうやって一生懸命育ててくれたんだな」って感謝の気持ちでいっぱいになる。
もちろん 親だけじゃなくて、自分が困っているときに助けてくれたり、親切にしてもらったときは、誰に対しても感謝の気持ちでいっぱいになる。
でも、中には心から「ありがとう」って思えないときもある。
色々してくれた相手に「ありがとう」って言いながらも、モヤっとする気持ち。
このモヤモヤは何?
この違和感は何?
大人になっても感じるこの違和感。
私は感謝できない冷たい人間なのか?
恩知らずな人間なのか?
そういえば、、、子供の頃から「ありがとう」って言葉を何気なく使ってきたけど、
「ありがとう」っていう言葉の意味を考えたことがなかったな。。。ググる…
「ありがとう」=「有り難う」
有り難う・・・有るのが難しい
「めったにないこと」 へぇー(・_・D フムフム
めったにないことならば、「奇跡」よね?
じゃあ、「奇跡」って何ぞや?
自分の中で「ありえない!」と思ってたことが起こることなんだとしたら?
でも、私の中では「ありえないこと」でも、
他の誰かにとっては「ありえること」だったりするよね。
私にとっては「奇跡」でも、誰かにとっては「当たり前」のこと。
ってことは、「奇跡」って「当たり前」の中に転がってる?
もしそれを小さくても毎日見つけていったら、
毎日奇跡の連続じゃない?! Σ(・□・;)
そういえば「当たり前のことに感謝する」って言われたことあったな…
当たり前のこと=奇跡=有り難う つ、繋がった⁉
日常の中に奇跡が転がっているのに、目の前の辛いことや、環境ばかり意識していて、奇跡に気付いてないだけだとしたら・・・
そんなのもったいなーい!!
起きている辛いことですら奇跡? おや?わからなくなってきたゾ?
思い返せば私の人生、それはそれは色んなことありました。
周りに、「私があなたなら自殺してるわ!」と言われるほど…(;^ω^)
最初は、辛いことや嫌いな人に対して、愚痴や不満ばかり言っていたし、自分が辛いことを周りの人や他人のせいにしてたけど、ある時からその辛かった経験を辛いままにするのがもったいない気がして、嫌なことがあったらそこから必ず何かを学ぼうという意識で生きてきた。
今もそう。辛いことがあったら、何を学ぶためにこの現象が起きているのかって考える。そこで学びに気付いた時、「すべては無駄じゃなかった!」って思えるし、嫌な人や嫌な事は嫌いなままでも、許すことができる。さらに、嫌いな人や嫌なことにですら「ありがとう」って思える。 (嫌いだけど・・・コソッ)
嫌な現象が起きたり、嫌な人と関わったり、辛いとか、痛い思いをすることはこれからもあるだろうし(確実に起こる回数は減ってきてるけど)、それはいつもの「学んでやる!」精神でいけるけど、平和な日々の中にいる時や、何なら辛い状況の中にいる時でも、日々小さな奇跡を見つけられたら、幸せ倍増するんじゃないだろうか?
そうすれば「当たり前のことに感謝」できるかもしれない。
体験してみたい!本当の意味での「感謝」の気持ちを。
「感謝」って、誰かに強要されてするものじゃなくて、感謝しなきゃいけない!でするものでもなく、
自然と出てくるものだと思う。
きっと親に言われて感じていた違和感は、「感謝」を強要されていたり、自分も感謝しなきゃいけないと思っていたから。
見返りを求める愛や、周りに良く思われたいからする親切、自分が必要とされたいからする親切、自己犠牲の愛、自己満足の愛は、
「やってあげたのに。。。」につながるのかもしれない。
(これは子供に言わないようにしてる言葉。自分が言われて嫌だったから…でも時々言いそうになる。いや、言ってしまうときもある。)
小さな奇跡に気付いて、当たりまえのことに感謝することができたら、人に感謝できる人間になれるかな?
そして「感謝される人」になれるかな?
そもそも当たりまえって思ってたことは、本当は当たり前じゃなくて、
当たり前だって自分が思い込んでるだけ。
・仕事をするのは当たりまえ
・学校に行くのは当たりまえ
・ご飯を作るのは当たりまえ
当たり前を奇跡に変えると
・仕事ができるのは奇跡
・学校に行けるのは奇跡
・ご飯を作れるのは奇跡
今まで当たり前に仕事に行ってたけど、仕事があってお給料がもらえるって奇跡だし、会社側も働いてくれる社員がいるということは奇跡。
子供が学校に元気に行ってくれているのも奇跡。成績悪くても、行けているだけで十分。何なら、行かなくても存在してくれているだけで奇跡。
子供も学校に行けるという奇跡。
ご飯が作れていることも奇跡。ご飯を作ってくれる人がいることも奇跡。
こう思い返すと、震災でライフラインが止まり、ご飯が作れなくて、缶詰やお菓子を食べてしのいでいたり、学校に行けなくなったり、仕事がなくなったり・・・
今回のコロナでもそうだ。
当たり前のことが当たり前じゃないって気づかされた。
今あるものが当たり前じゃないんだって気付いた時、
「あるって、ありがたい」って思える。
震災やコロナみたいに、大変な事が起きてから気づくだけじゃなくて、日常の生活にある小さな奇跡に目を向けていたら、みんなお互いに感謝のループになるんじゃないかな。
もちろん嫌な事や辛いこともあるけれど、感謝する心があることで「幸せ」を感じられるはず。
お金や物で「幸せ」を感じることもあるけど、そこに「感謝」の気持ちがなければ、お金があっても物が買えても、「幸せ」は一時的なのかもしれない。
「感謝」は「幸せ」につながる。
「感謝」を伝えるステキな言葉。
「ありがとう」
今日から、小さな奇跡を見つけて、あるものに「有り難い」を感じてみよう。
そして物にも人にも「ありがとう」って言ってみよう。